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PHOTO GALLERY

フォトギャラリーのページへようこそ。このページでは米国の時計メーカー"ILLINOIS"の腕時計をいくつかご紹介したいと思います。あまり耳馴染みのないブランド名だとお感じになるかも知れませんが、それもそのはず1933年には完全に消滅してしまった幻の時計メーカーなのです。

かつて弊店ではこのイリノイの時計が持つ魅力に注目し、数多く取り扱っていた時期がありました。米国内には多数コレクターも存在し、評価の高い時計ブランドのひとつですが、ここ日本ではごく一部の懐中時計ファンの間でしか語られる機会がないように思います。過去に入手したものを非売品として保存していますが、その中からいくつかご紹介したいと思います。



〜幻のブランド「イリノイ」とは〜
イリノイの歴史をひも解いてみるとアメリカのイリノイ州で1870年に発足した「スプリングフィールド・ウォッチ・カンパニー」がその前身にあたります。創立後すぐに製造を開始し、「スチュアート」という名前のついた最初の懐中時計を完成させます。ところが、既存の大手メーカーである「エルジン」や「ウォルサム」などからの反発を恐れた小売店がイリノイの売り込みを拒むといった困難などもあり、当時の販売戦略は決して順風満帆には進んでいかなかったようです。その後も幾度かの紆余曲折を経て「イリノイ・ウォッチ・カンパニー」という社名になります。

その後、西部開拓の波とともにアメリカに訪れた鉄道の発達が時計産業に大きな影響を与える事になります。東海岸と西海岸を結ぶ大陸横断鉄道が開通し、アメリカには四つの標準時間帯が作られ、その結果鉄道員向けの高精度な時計の需要が一気に高まっていきました。また、鉄道を利用する一般の乗客も列車の時刻を間違えないようにとより正確な時計を求めるようになったのです。こうしてアメリカでは時計の精度の向上や普及へとつながっていきました。

イリノイもそういった鉄道の発展とともに市場でのシェアを獲得していきます。現在も懐中時計のファンの間で最も人気の高いモデルのひとつである21石のムーブメント「バン・スペシャル」は5万個以上も製造され、多くの鉄道会社に採用されたそうです。一時代を築いたイリノイ社で経営を担っていたのはバン一族でしたが、1926年に社長のジェイコブ・バン2世が他界するとその後の社運が大きく変化し始めます。社長の逝去と共に経営の基盤が失われ、社内の足並みが乱れたのでしょうか。

翌年の1927年にはあのハミルトン社(ペンシルバニア州ランカスター)に全面的に売却される事になります。ハミルトンも同じく鉄道の発達とともに業績を順調に伸ばし、アメリカ全土で大きな信用を得ていました。ハミルトンは買収後もしばらくイリノイブランドを存続させていましたが、1933年には工場の全面的な移転に伴って完全にこの世から消える事になってしまうのです。今回ご紹介するのはイリノイブランドの後期にあたる1920年代後半〜1930年代にかけて生産されていた腕時計です。




THE ILLINOIS WATCH

高い技術力を持ちながら、結果的にハミルトンに吸収されてしまった「イリノイ」。品質が高く、評価されていたにもかかわらず、消滅する事になってしまったのは企業としての方向性をきちんと定めつつ、十分に業績を伸ばしていく事が出来なかったからなのでしょうか。紙一重だったかも知れませんが、十分な営業力があれば、買収は免れたかも知れません。ハミルトンはイリノイ製品の品質の高さゆえに大きな脅威を感じていたのではないかと思います。そう考えるとハミルトンがイリノイを買収したのもうなずける話です。



イリノイウォッチ番外編

そんな「イリノイ」ですが、実は1950年代に入ってからハミルトンが一時的に名前を復活させています。それにどのような狙いがあったのかは知りませんが、個人的にはイリノイというブランドへの敬意の表れだったのはないかと思います。1940年代以降ハミルトンがさらに成長を遂げていく事が可能だったのはイリノイの高い技術力を取り入れる事が出来たからだったのかも知れません。


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